息子・モーリーを生んでから本当に多くの人から励ましや優しい声をかけていただきました。
産後、優しい言葉をかけてもらっているのにそれに勝手に傷ついてグッとこらえるときがたくさんありました。医療ケア児のママパパはお気持ち共感できるところがあったら嬉しいですし、家族や友人に医療ケア児が生まれた人は当事者はこう考えることもあるんだなと一つの意見として理解してもらえると嬉しいです。
なぜそう感じたか、そしてどう気持ちを切り替えていったのか…?そんなお話ができたらと思います。
『小さいだけ』というワード
軟骨無形成症という身長が伸びにくい難病を持って生まれたモーリー。息子の説明をすると多くの人に「小さいだけでしょ?それだけならよかったね。」「私も小さいわよ。小さくても大丈夫。」小さいことなんてなんでもない、気にしなくていいじゃないというような声かけをしてくださる人がたくさんいました。
身長140㎝、150㎝…確かに小さい人はいます。でも息子は骨系疾患。最終平均身長は120~135㎝、小さいこと以外にほかの人にも認知されていないような体の構造やバランスからくる不便さ、不自由さがあります。
手術を要することだってあります。手足が短いことでほかの人が使えるものが簡単には使えない、骨の弯曲や痛みも出てくることがあります。ただ小さいだけと言って疾患の無い低身長の人と同じようにとらえられることにものすごい違和感を感じました。
『ただ小さいだけであなたはみんなと同じようになんでもできる、なんでも挑戦しなさい!』そう育てるのが目標ではあります。でも実際には同じようなことが何でもできるとは限りませんし、合併症もあります。決して『小さいだけ』では片づけられない葛藤や思いがありました。
神様や運命といった言葉
私の住む町はキリスト教徒が多く、毎週教会に通う人も多くいます。私自身、日本育ちで、特定の宗教に深い信仰心はないものの、どの宗教もそれぞれ歴史や考え方があってそれを尊重・尊敬するように心がけています。
多くの人が『神様』や『運命』というワードを使って励ましてくれたのですがこれは本当に葛藤しました…正直、今でも葛藤するワードです。
『神様が導いてくれる』『神様にはプランがあってこうなっている』『神様は完璧』『神様が授けてくれた』『神様は善である』『息子があなたのもとに生まれてきたのは運命だ』
どの言葉も神様を信仰している人にはとてもいい言葉でよく使われる言葉です。そしてそれぞれの言葉を否定するつもりは全くありません。
しかし産後、いろんな不安や困難に直面している中でのこれらの言葉は私をものすごく苦しめました。息子が難病と診断されたこと、急に生活ががらりと変わったこと、肉体的にも精神的にもいっぱいいっぱいなこと、わが子が死ぬ可能性と隣り合わせで生きていること…私の一番辛かった時にこういった言葉は全く響かず、むしろこれが神のプランだなんてそんなの納得がいくわけがない!なぜ、息子なの?ただ辛い…この状況から逃げたい…夢であってほしい。それが私の本心でした。
息子が2歳半でやっと…やっと歩いた時も「God is good!(神は善だ!)」と言われて内心ものすごく嫌な気分になりました。この時ばかりはなんで純粋に息子に頑張ったねと言えないんだろうと思ってしまって…歩きたくて歩きたくてやっと歩けた息子。今まで頑張ってきたのは他でもないモーリー。それをずっとそばで見てきたからこそ、その言葉が嫌と感じてしまったのかもしれません。
相手には悪気はないのはわかっていますし、相手にしてみたら息子を思って言ってくれている、それは十分理解しています。私は神様や宗教を通して会話するのではなく私や息子と対一人の人としての会話がしたいと思ってしまったのかもしれません。
『あなたを選んで生まれてきた』『あなただからできる』
よく言われたのは『あなたを選んで生まれてきたんだね。』『あなたはよく頑張っている、あなただからできるんだよ。』『私だったらできてない。あなたはすごいよ。』
入退院、手術、医療旅行とその準備、スケジューリング、多額の請求書、書類関連、申請関連など難病・医療ケア児だからやらなくていけないことはたくさんあります。医療ケア児が生まれる前と後では生活が大きく変わりました。でもこの状況もわが子が難病と診断されたこともすぐに受け入れることなんてできませんでした。選ばれたことを誇りに思ったり喜ぶことなど簡単にはできません。私はこれらができていてすごいのではなく、やらなきゃいけないから無理してでもやっているだけで正直、もう無理!投げ出したい!と何度も何度も思いました。
なんで私なの?なんで我が子なの?私はそんな無意味な自問自答を毎日繰り返していました。あなただから赤ちゃんは選んできたのよと周りに言われても納得いかない!あなたは選ばれたかったですか?と聞き返したい思いでした。
私だからできた、私を選んで生まれてきた…これはママやパパ自身がそう思えたときに自らが言える言葉であって仲のいい家族や友人であっても周囲の人の言うべき言葉ではないのかもしれません。
医療ケア児を持つママ友からの言葉
本当にありがたいことに息子の誕生以降、多くの温かい言葉、優しい言葉、素敵な言葉、お祝いの言葉をもらいました。どんな言葉でも息子や私、私たち家族を思ってかけてくれた言葉とその優しさには感謝しかありません。
その中で私は一人の友人から届いたメッセージを読んで感動して号泣したことがあります。そしてそのメッセージは今でも私を支えてくれている言葉です。何回読んでもこれを送ってくれた彼女への感謝と共感で涙が出ます。
↓和訳は英文の下にあります。
Just know that grief and fear and all of those emotions you’re experiencing are valid and you have the right to feel them. Well meaning people will tell you all sorts of things but they have the privilege of not experiencing having a baby with life altering, incurable disease.
Please know that while, my kid’s defects are different from Mory’s achondroplasia, I get that loss you are experiencing (I wish we weren’t in this “club”), and I’m here if you need a hug or an ear or a shoulder.
Feeling these emotions does not make you weak, does not make you love your son less. It makes you a complex and strong woman who has been dealt an incredibly unfair and difficult situation.
Mory is so fortunate to have you and your husband and the girls.
あなたが今感じている悲しみや恐れ、そしてそのほかの感情はすべて正当なもので、あなたはそれを感じる権利があるの。
多くの人たちは善意でいろいろなことを言うでしょう。でもその人たちの多くは「人生を大きく変える、治らない病気を持つ赤ちゃんを育てる」という経験をしていません。私の子どもの疾患はモーリーの軟骨無形成症とは違うけれど、あなたが感じているその喪失感を私も理解しています。覚えておいてね。抱きしめてほしいとき、話を聞いてほしいとき、寄りかかれる肩が必要なら、私はここにいるから。(私たちがこのような同じ“医療ケア児クラブ”に入ってなければよかったのに…)
こうした感情を抱くことは、あなたが弱いということでも、息子さんを愛していないということでもないの。むしろ、それはとても不公平で困難な状況を与えられてもなお、奥深く強い女性であることを意味しているのよ。
モーリーは、あなたとご主人、そして娘さんたちに恵まれて本当に幸せです。
私は人々が優しさや善意の気持ちでかけてくれる言葉に勝手に傷ついて自分を苦しめていました。彼女のくれた言葉は私の状況や感情への深い理解と私が必要とする言葉すべてが詰まっていました。
彼女の言葉があったから頑張ってこれたと言っても過言ではありません。彼女のおかげで人からの優しい、温かい、素敵な言葉だけど私自身が傷つくよう言葉の時は意味は受け取らず、優しさの気持ちだけを心にとどめて感謝するということができるようになりました。
そして『医療ケア児クラブ』なんてものは存在しないのですが医療ケア児を抱えるママ同士という意味のクラブ。医療ケア児がいなければこんな気持ちを共有共感する必要はなかったなんだけどね…でも同じクラブにようこそ。支えあっていきましょうという彼女の深いメッセージも読み取れて彼女のユーモアにも本当に心が温まる思いでした。彼女とは家族同士、今でも仲良くさせてもらっています。
かける言葉の正解…
人が困難に直面している時の声かけ、会話って難しいですよね…そしてこういったときにかける言葉に正解はありません。
そして子供が大病や障がいなどに直面している親子は子も親もきっと頑張りすぎるほど頑張っています。正直、私としては自分が困難に直面した方が楽です。自分で何を頑張ればいいかわかりますし、どうしていきたいか自分の意思をもって決断できます。辛いのも理解して向き合うことができます。でもわが子となると何を決めるのも子供の人生に関わる選択の責任だったり、子供が辛い現実に直面して闘う姿をサポートし、見守ることしかできません。代わってあげることはできないのです。医療ケア児のいる家庭の直面する多くの負担、精神的、体力的、金銭的、時間や労力…あげればきりがないほど、その大変さは計り知れません。親や兄弟は疾患のある子が1番頑張っているとわかっているからこそ辛いときに辛いと素直に言えずにいることでしょう。
こういった現実はその立場にならないとわからないことばかりです。でもそれでいいんです。わからなくて当然なのですから…大切なのはその人を想って寄り添った言葉をかけてあげることが大切だと思います。話を聞いてあげるだけで楽になるかもしれません。コーヒー1杯で救われるかもしれません。メールや電話一本で気分がグッと上がることもありますし、くだらない話で笑うだけで良い一日になるかもしれません。そういった些細なことで涙が出るほど嬉しくなったり助かったりすることがたくさんあります。
私のブログを読んで困難に直面している友人・家族になんて声を掛けたらいいかもっとわからなくなったと思うかもしれません。でもどうか声をかけることをためらわないでください。私は言葉の内容や受け取り方に葛藤はありましたが多くの人に声をかけていただいた優しさには心から感謝しています。救われた言葉や私やモーリーを思ってやってくれたことに涙が出るほど支えられたこともたくさんあります。
難病や障がいのある子が誕生したことで未来が見えない、もう普通の日常なんて自分にはない、そう思った日々もありました。社会から置き去りにされ、自分だけがもう元に戻れない闇にいる気分にもなりました。でも、多くの人からの優しさ、愛情で私は一人ではない、たくさんの人が私や息子を思ってくれている、支えてくれている、そう感じさせてくれました。私にとって前に進む上でとても重要かつ必要な活力になったと思っています。
ここで伝えたいのは言葉にはいい意味でも悪い意味でも強いパワーがあるということ。励まされたり喜びを感じることもあれば言葉に振り回されたり、葛藤することもあります。でも葛藤してしまうときはその言葉をかけてくれた真意や優しさ、行動を考えると見かたを変えることができるかもしれません。言葉をかけてあげるときは思いやりや相手の立ち向かっている困難をよく考えて声掛けしたり、言葉が見つからないときは気にかけているよという行動だけでも大きな励みになることを覚えておいてもらえたらすごく嬉しいです。