モーリーの診断~退院まで

モーリーの生活

『モーリーの誕生まで』の続きです。まだ読んでない方はこちらから読んでいただけると嬉しいです。

今回はモーリーが誕生した後、『軟骨無形成症』の疑いから診断、退院までを綴っていきたいと思います。

※センシティブ・ネガティブな内容が多く含まれますのでご了承の上、お読みください。
尚、これは私に起こったリアルな心情と出来事です。軟骨無形成症や低身長症について、否定したり不快な思いを与える意図はまったくありません。その点だけご理解いただければ幸いです。

不安な夜…

紫色に変色するモーリー

どんなに私が不安を感じていても気持ちが落ちて泣いていても目の前にいる赤ちゃんは一生懸命生きているわけで…お腹すいて泣いてお乳を飲んで、ウンチもおしっこもします。

軟骨無形成症』の疑いと言われたけど、まだ確定診断がない状態…そして、難病…骨系統疾患…といろいろ聞いた後だったので普通にお世話していいんだよね?と不安に思いながらお世話をしました。

と言っても3人目の子供ですからある程度、慣れた手つきでこなしていました。心ここにあらずな感じではありましたがいろんな考え事をしながら少しの間、授乳をしていました。すると入院着の下で聞いたこともないような大声で急にモーリーが泣きました。パッとお乳から離してモーリーを見てみると頭、顔、体全体の皮膚が真っ黒な紫になっていました。パニックになりながら部屋を出て助けを呼びました。

モーリーはナースに連れていかれました。待っている間は地獄のような時間でした。もう息子は生きて帰って来ないかもしれないとすら思いました。あんなに人の皮膚が紫色に変色した姿を見たことがなかったのでものすごく怖かったのを鮮明に覚えています。

30分ほどしてナースから肌の色の戻ったモーリーが帰ってきました。授乳中にうまく酸素が吸えなくなって酸欠になったとのことでした。今までにない経験でゾッとしました。その後も何度か同じように授乳中に皮膚が変色して紫になることが起きました。母乳や授乳のアドバイスをする人が来て指導を始めるのですが3人目の子供ですから、どれも言っていることはわかっているし試しているのにダメ出しされる始末。改善どころか悪化するアドバイスばかりでした。この時は軟骨無形成症の顔の構造や特徴からくる呼吸問題から酸欠が起こっていることに誰も気づいていませんでした。

精神状態が安定しない私

紫に変色した息子を見てから不安が増し、ますます将来が怖くてたまらなくなりました。

何度も自分を見失ったように叫んだり、泣いたり、誰にぶつけたらいいかわからないこの思い…言葉にできない気持ちに頭がおかしくなりそうでした…いや、おかしくなっていたんでしょう…代わる代わるナースやお掃除のおばさんなどが「大丈夫?」「辛いわよね…」などハグしてくれたり、慰めてくれたりしてくださいました。でも心は全く落ち着きませんでした。

しばらくしてナースの方が病室にやってきて「全く休めてないでしょう?少し赤ちゃん預かるから寝てみたらどうかな?」と言ってくれました。正直、またあの真っ黒く紫になった息子を見るのが怖すぎて、ナースに診てもらった方が安心かもと思ったのでお願いすることにしました。

しかし、息子を預けても全く寝ることができませんでした。自分以外誰もいない病室でただただ涙があふれ、寝ようとしても寝れないんです…結局、携帯に手を伸ばしてしまい、また『軟骨無形成症』を調べてしまいます。少しの間調べた後、急に何かに取り憑かれたように紙にメモをはじめました。いつ正式な説明があるかわからないけど、その時に質問することを無我夢中で書き始めました。

診断結果

出産翌日の朝、突然、産科医がやってきました。医師が何時に来るかわからなかったので夫も子供たちも家にいて病室はナースのお預かりから帰ってきていたモーリーと私だけでした。

「すこしいいかな?」と普通の会話をするように話始めました。「診断結果なんだけどね…やっぱり軟骨無形成症でした。」

え、今言う?夫もいないのに?これを私一人で受け止めろって言うの?って心の中で思いました。このタイミングで診断結果を聞くと思ってなくて突然すぎてパニックでした。今でもこの時のことを思い返すともっと配慮してほしかったなと思います。正直、人生で一番辛いと言っても過言でもないその瞬間を1人で過ごすのは言葉にできないほどの孤独と衝撃でした。

突然の診断結果の報告。静かに大粒の涙があふれてもうぐしゃぐしゃで何も見えませんでした。おだやかにに合併症やこれからのことを話す医師。私は「質問してもいいですか?」と言って夜、寝れなかったときに調べた20個以上はある質問をたんたんと聞いていきました。

NIPT(新型出生前診断)を受けたときすべて陰性でしたよね?なぜですか?』と聞くと、医師は「それは軟骨無形成症が希少疾病だからその検査のリストには入ってないんだ。NIPTは主に染色体の数の異常を調べる検査だからトリソミー系の疾患しかわからないんだよ。だからすべて陰性だったんだね。」と言われました。そうだよね、検査でわからない病気もあるよね…わかっているけどわかりたくない…そんな思いでした。検査でわかっていたところでどうだったんだと言われても答えはありませんから聞いても意味のない質問だったかもしれません。

ほかにも『乳児突然死症候群が普通の子の5%~7パーセント多いとありました。万が一、朝起きたとき、体が冷たくなっている、亡くなっている場合、救急車ですか?どうしたらいいですか?』『赤ちゃんの心肺蘇生法の資格を取った方がいいですか』など私は何を聞いているんだろう?なんてひどい状況を想像をしているんだろう?と思うような質問もありました。

起こりうる合併症のこと、今後のこと、お世話で疑問に思うことなど…本当にいろいろ聞きました。医師は私の質問にひとつひとつ丁寧に答えてくれました。中には医師が言葉をつまらせたり、答えられない質問もありました。そして、私が調べたことや質問を見て、「君、こんなにもう自分で調べたの?びっくりなんだけど…」と言葉を失ってました。寝れない間、気が狂ったように調べていたんだなと自分でも引くほどの情報量が何枚もの紙に書かれていました…

診断を受けたあと…

医師と話し終わった後、すぐに夫に連絡して診断結果を伝えました。そして『ごめんなさい…』と再び、泣き崩れたのは覚えています。

誰のせいでもない。息子は幸せに育つ。そう言い聞かせても、将来どんな困難や痛みに耐えなくてはいけないのか、これから私たち家族や息子はどうなっていくのか…ネガティブばかりが勝ってしまって、息子にも、夫にも、娘たちにも、この状況にも、すべてのことに「ごめんなさい」と言わずにはいられませんでした。

電話のあと、夫はすぐに娘たちと病室に来てくれました。娘たちは息子を見て「かわいい!!かわいい!!」と純粋な愛を爆発させて喜んでくれました。これには本当に心が救われました。2人の娘、りっちゃんとあっちゃんにモーリーを抱っこしてもらいました。この時にまたいろんな感情がこみあげてぼろぼろ泣いてしまいました。

すっかり泣き虫になり、ひどい顔をしている私を見て娘たちは心配そうでした。夫はとても落ち着いていて、子供たちにいろいろ優しく説明したり、安心させるような声掛けをしてくれていました。この時の私は自分でいっぱいいっぱいだったので夫が冷静にいろいろなことを対応してくれたのは本当にありがたかったです。

退院

本当に本当に驚きだったのですが1日目の午前中に陣痛で入院、日付変わって夜中2時過ぎに出産、3日目の昼頃に退院でした。NICU入院とかもなく産後36時間くらいで退院でした…アメリカの出産は難病の子を産んでもこんなスパルタなのか…と、もう絶句でした。

正直、このままどうぞ!自宅で育児してください!って放り出されてもいろいろ大丈夫なのか?もう酸欠で紫になることはないのか?様々な不安を抱えたままで本当に退院でいいのか疑いました。

2晩泣き続けたおかげで出目金のようにぱんぱんに晴れ上がった目とまともに歩くのもままならないほどどんよりした雰囲気で病院をあとにしました。診断を受けたその日に退院だったのでこの時のことは正直、記憶にあまりないくらい魂の抜け殻状態でした…

家についてからも精神状態が安定しませんでした。
なぜ?どうして?なんで私?なんで私たちの子が?そう思わずにはいられません。誰にでも起こりうる可能性がある。自分を納得させようとするも現実に起きていることが信じられず、なかなか受け入れられませんでした。

考えても仕方ない、心配しても泣いても何が変わるわけでもない、手足が短く小人みたいに育ってもいいじゃん、かわいいじゃん、個性だよ。そう思う反面、頭ではわかっていても気持ちが追いつかず涙が勝手にぼろぼろ。

誰のせいでもない。それでも息子やずっと息子を欲しがっていた夫に対して息子を健康な体に産んであげられなかったことに申し訳ない想いでいっぱいでしたし、ひたすら自分を責めました。同時に申し訳なく思うことすら息子にもこの難病を抱えて頑張る人にも失礼な気がしてそんな自分がどんどん嫌になっていきました…

かわいい、愛おしいより『不安』…

息子のことをかわいい、愛おしいという気持ちはあったものの、それ以上に『不安』『未来がどうなるかわからない怖さ』でいっぱいでした。

前向きに考えようと頑張れば頑張るほど気持ちの浮き沈みが大きくなっていったように思います。

精神的なことだけでなく肋骨の骨折からくる背中の痛みがずっとあって、赤ちゃんの抱っこ、授乳などが辛く、身体的な問題も重なって正直、この状況から逃げたいと無責任なことを思うことも多かったです。

今考えても産後しばらくは絶対に産後鬱だったと思います。こうして当時を思い返しながらブログを書いていますが細かい記憶がないことも多く、本当に必死だったんだろうなと思います。

現在はいろいろ乗り越えながら元気にユーモアたっぷりのかわいい息子に育っているモーリー。まだ不安も大変なこともあるけど、モーリーはみんなにかわいがられながら家族全員幸せに生活しているよ!!そんなに不安にならなくても大丈夫だよ!と当時の私に伝えられるなら伝えてあげたい!ぼろぼろだった自分に大きなハグをあげたい!そう思います。

まとめ

『モーリーの誕生まで』と今回の『モーリーの診断~退院まで』を最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。少しネガティブな内容になってしまってすみません。でもこれが私の直面したリアルな息子の出産でした。

産前や産後、お子さんが少し大きくなってから…どのタイミングであっても子供の病気の診断というのはとても辛く受け入れるのが大変だと思います。

今回は私たち家族に起きたリアルな現実を書き残しておきたかったことと、同じように大変な時期を乗り越えてきた障がい児や大病・難病などを抱えた子の親御さんたちに一人じゃない、悩んで辛くなるのは当然のこと、乗り越えるのは簡単ではないこと、そういった思いを共感できたらと思って書きました。

いずれモーリーがこのブログを読んだとき、自分が病気だと知ってこんなに辛かったのか…とショックを受けたり悲しむこともあるかもしれません。でも大事なわが子だからこそ、不安や心配でいっぱいだったことは事実です。どうでもよかったらこんなに心が乱れることなんてなかったでしょう…そして勝手かもしれませんがいつかモーリーには家族みんなで支えあっていっぱい愛されたから今の自分があると自信をもって思えるように育てていくのが私と夫の役目だと思っています。なのでもしモーリーがいつか自分の生まれたときのことを聞きたいということがあればブログが家族とモーリーの病気や障がいとどう向き合ってきたのかを知るきっかけになればいいなと思っています。

モーリーの誕生~退院までのお話を見て軟骨無形成症って何?って思った方は『軟骨無形成症について』や軟骨無形成症の特徴である『低身長症(小人症)について』も読んでいただけたらとても嬉しいです。

今後もモーリーのことや軟骨無形成症をはじめ、家族のこと、アメリカ生活のこといろいろ発信していきますのでよろしくお願いします!


タイトルとURLをコピーしました