私の息子・モーリーは産後翌日、軟骨無形成症と診断されました。突然の診断に私はショックと産後のホルモン変動で産後鬱になってしまいました…それに対して夫の反応や気持ちはどうだったのでしょうか…?
何らかの形で家族の困難に直面した時、パートナーシップってとても大事ですよね。
今回は夫・父親としての気持ちや私にとっての夫の存在に焦点を当てて書いていきたいと思います。
モーリーの誕生までのお話→こちら
モーリーの診断~退院までのお話→こちら
こちらの記事をまだ読んでいない方は読んでいただいてからの方がわかりやすいと思います。
産後直後…
夫に当時のことを振り返ってどうだったか聞いてみることにしました。
私:出産直後、正式な診断がある前に私が『手足が短い気がする…』と何度も言っていた時、信じられた?疑問を持つ私をどう思った?

信じないわけではないし、信じてたけど…うん…その可能性もあるのかな…って。正直実感がわかなかったかな…
私:実際、診断を受けた後の気持ちはどうだった?

一定数、病気や障がいを持った子が生まれるのは仕方のないことだからそういうこともあるか…って感じ。でも純粋にショックな気持ちもあった。でも、えりかほど落ち込んだり、感情的にはなってなかった。なるようにしかならないから頑張るしかないか…って思ったかな。
夫はもともと、冷静で感情的になることがあまりないのですが息子が生まれた時も驚くほど落ち着いていました。むしろ私がメンタルボロボロ過ぎて夫は落ち込む暇もなかったのかもしれません…
私が産後、落ち込んで毎日涙ぽろぽろ流しながらモーリーを世話をしたり、声をあげて泣き始めたり…今まで見たことのないような妻の姿を見て、何度も私に声をかけてくれた言葉がありました。

『大丈夫。モーリーは最高にかわいい息子だから。一緒にがんばろう。』
この言葉を言霊のように言ってくれたことで私の心は何度折れても踏ん張って頑張ることができました。夫なしには産後半年くらいまでの一番つらかった時期は乗り越えられなかったと思います。
産後最大の夫婦の決断
今ではアメリカでも年齢制限なく受けられる新薬治療。モーリーが生まれた当時、アメリカでは5歳以下はその新薬治療が受けられませんでした。でも日本ではすでに年齢関係なく承認されていました。
当時は難病で産んで入退院を繰り返す息子にただただ母として申し訳ない想いで息子のためにできることはなんでもしたかった私。アメリカでも新薬の5歳以下使用の承認が下りるのは時間の問題とされていましたが1年なのか2年なのか…わからない状態でした。そのため、承認が下りるまでの間、私と息子だけ、または子供たち全員で日本に移住したいと夫に頼みました。

それはOKできない。家族はやっぱり一緒がいい。息子のために何が何でも頑張りたい、やってあげたい気持ちはあるけど家族一緒なのが大前提。
夫の決意・意思は揺るがないものでとても固いようでした。
リモート職ではなかった夫は簡単に仕事をやめるわけにもいかず…一緒に日本に移住する選択肢はありませんでした。私はモーリーのためになんでもしたい!と思う反面、娘たちと離れ離れになるのも嫌でしたし、娘たちを日本に一緒に連れて来るなら彼女たちの人生を私やモーリーのせいで振り回すことになるのではないか、ちゃんとアメリカの学校に戻れるのかなど多くの不安がありました。
夫の賛成なしにはどうすることもできず…モーリーのためにできうることをなんでもしたいと躍起になっていた私は気持ちが張り裂かれるような思いでした。
今でも日本に行かなかったことに後悔がないかと言われると、正直、後悔の残る思いもあります。早期治療ができたら何かが違っていたのかな…と考えてしまうこともあります。でも当時、冷静に考えることのできなかった私にとって家族で一緒にいることを絶対としてくれたのはありがたかったと思います。おかげで家族はずっと心ひとつで何事も頑張れてきたと思います。
※モーリーは結果、承認が下りた1年後から新薬の治療を受け始めました。
役割分担
モーリーが生まれてから夫と私の役割分担が自然と決まっていきました。夫は書類・保険・医療費関連、私はドクターや病院とのコミュニケーション・予約管理・入退院付き添い・医療関連の大まかな方針決めなど…医療面での大事な決断は夫婦で話し合って決めるものの、だいたいのことは私が調べ、医療者と十分にコミュニケーションをとって夫と情報共有しているのを夫はわかっているので大きな信頼を置いてくれていました。
反対に書類・保険・医療費関連は私も夫を絶対的に信頼していました。そのためお互いのやることを尊重・協力できて気持ち的にも安心感がありました。
メンタルと体力の限界・経済的負担
産後半年~1年くらいの間が家族としての危機を迎えることになります。
どしどし毎週のようにいろいろな医療施設から送られてくる医療費の請求書…見たこともないような請求書の量。夫婦で郵便物を確認するたびにため息が出ました。医療費は楽々、限度額に到達し、この年の医療費の自己負担額は日本円で約100万以上でした。この金額負担がこれから毎年になるの?これから自分たちの生活はどうなるの?と不安不安不安…それしかありませんでした。
医療のサポートに加え、毎日まともな睡眠もとれず、息子の生死紙一重のような生活の日々。それに加えて経済的負担、激変した生活に夫も私も戸惑って憔悴していた頃、私が車の事故を起こされ、車が廃車になりました。車は生活に必須なので予定外に車を購入することになったり…経済負担増!!って感じでした。
とにかく無茶苦茶な年だったんですね…厄年、だったんですかね…負のループから抜け出せなくてもがき苦しんでいる時も、どんな困難や苦境に立たされても夫は…

『大丈夫。大丈夫だから。』
夫もいろいろストレスを抱えて私とは違った形で精神的にいっぱいいっぱいだったと思います。私が目の前の命を生かすのに必死な中、夫は家族がちゃんと安心して生活できるよう懸命にダブルワークしながら支え続けてくれました。夫は自分がいっぱいいっぱいな中でも私が不安になっているのを感じると必ず言葉にするのは『大丈夫』でした。この『大丈夫』にはとても大きなパワーがありました。私は本当に多くの場面で夫の『大丈夫』に支えられてきました。
まとめ
モーリーが生まれてから様々な困難に立ち向かわなくてはならない場面がたくさんありました。夫がいてくれたから乗り越えられたこと、夫がいたから家族の絆が保てたこと、夫がいたから協力し合えたこと…本当に感謝でいっぱいです。
夫や父としての在り方に正解なんてありませんが、寄り添って一緒に協力して頑張って来れたことで家族としてもパートナーとしてもより固い絆が結べたように思います。
夫がいつも冷静でいてくれることで私も一度立ち止まって冷静になることができます。モーリーが生まれて多くのことを一緒に乗り越えることで夫がパートナーでよかったと実感しました。そして、お互いのやっていることに改めて感謝し合うきっかけにもなったと思います。
夫に声を大にして言いたい、言い続けたいこと…『ありがとう!』そして『これからも家族一緒に頑張ろう!』
最後まで読んでいただきありがとうございました!
