『モーリーは幸せに生きられるの?』 ~医療ケア児の親としての永遠のテーマ~

心のケア

こんにちは!軟骨無形成症を持つ息子・モーリーの母、えりかです!アメリカで3人の子育てをしています!

モーリーが生まれてから何度も入院を繰り返し、何度も遠方の病院まで行って治療を受けて…というのを見てきた長女・りっちゃんと次女・あっちゃん。ある日、診察と治療のための医療旅行の準備をしていると長女・りっちゃん(当時9歳)がボソッと私に聞きました。

「ねぇ、ママ…モーリーは幸せに生きられるの?」

この言葉を聞いた瞬間、衝撃が走りました。胸に刺さったりっちゃんの質問が痛すぎて返す言葉が見つかりませんでした。今回はその言葉から感じた思いを綴っていきたいと思います。

モーリーが生まれて1年目…

モーリーが生まれた日から始まった妊娠中には想像もしなかった生活。死と隣り合わせの生活が始まりました。正直、初めの6か月間の記憶はほとんどありません。産後に受けたモーリーの診断のショックと乳児突然死症候群を起こす確率が高いと知って何度も朝起きたときに亡くなっているモーリーを想像して精神的に参っていました…そして実際に入退院を繰り返すモーリーを見て、普段身近に感じることのない子供の死がすぐそこにあるようで私たち家族には「もし…」といった架空の話でなく目の前で起こりうる現実的なものでした。

姉たちの楽しみにしていた弟との生活

長女・りっちゃんは次女・あっちゃんが生まれるときもお姉ちゃんになること、妹のお世話をすることをとても楽しみにしていました。でもあっちゃんが1歳になる前くらいにはとっても自我の強くて、自分でやりたい!!が強い子に成長していました。あっちゃんはりっちゃんの手伝いを断固拒否しました。おかげでりっちゃんのお姉ちゃんとしてやってあげたいことはなかなかできませんでした。

だからこそ、あっちゃんの時以上にモーリーのお世話をするのを楽しみにしていたりっちゃん。でも産後2週間程度で姉たちからの風邪で重症化…結果、モーリーはPICU(小児集中治療室)に入院することになりました。この一件で夫も私も完全にビビってしまいました…りっちゃんとあっちゃんにモーリーを触らないで!とかなり気を遣うようになり、俗にいうガルガル期のようになってしまいました。

また、体の関節が病気の特徴で柔らかいため体幹が弱く、背中の曲がり(後弯)を悪化させないために平らに寝かせることという医師の指導がありました。そのため、大人の私たちでもモーリーを抱っこすることにもとても神経を使いました。りっちゃんやあっちゃんに「モーリー抱っこしていい?」と聞かれても不安が勝って断ることがほとんどでした。

繰り返される入退院、検査入院…

当時、たった5歳と3歳だったりっちゃんとあっちゃんを夫に託し、モーリーの入院に付き添う母親。合併症多めなモーリーは病院に関わる回数がびっくりするほど多く、1年目は特に検査や入院が多かったです。緊急入院も何度もあったので突然ママが今日からしばらくいません!なんてこともありました。

りっちゃんとあっちゃんにとってはわけがわからない中で荒波にもまれているような大変な一年だったと思います。当時を振り返って、申し訳ないことをしたな…と思います。急に始まった未経験のことに夫も私も必死だったことだけは覚えています。そして私たちだけでなく、娘たちもまた必死な私たちと同じように頑張りすぎていることが痛いほどわかっていました。モーリーを生かせるために家族みんなが一番頑張った年だった思います。

モーリーの2年目…

2年目も相変わらず良く入院していました。2歳半になって少し歩けるようになったことで行動範囲も広がり、できることも少しずつ増えていきました。

日本滞在中にも入退院…

モーリーが生まれて初めて日本への帰国…少し不安もありながら1歳も過ぎたし大丈夫だろう!と思っていたら…日本の湿気との相性が悪くとにかく風邪を引く=呼吸問題につながって入院入院入院…半年間の滞在で6回以上入院したと思います。ほぼ月1… 救急車も1度出動させてしまう騒ぎ。こんなことになるとは想像もしていませんでした。夜中に呼吸が悪くなって救急に駆け込みそのまま入院。朝起きたりっちゃんとあっちゃんが「あれ?モーリーは?また入院?」もう恒例行事のようになってしまっていました…

新しい治療とフロリダへの医療旅行

1歳半の時、後弯(背骨の曲がり)が重症と診断されました。予防法はすべて指示に従ったはずなのになぜ?医師にもずっと確認していたのになぜ今になって重症と言われるの?とかなり落ち込みました。でも落ち込んでいても何も変わりません。

重症化しているのを見つけてもらえなかったのは軟骨無形成症に特化した知識のない医師に診てもらっていたことが原因の一つでした。あとでわかったことですがモーリーは珍しい症例だったそうです。

そこで骨系統疾患や珍しい骨の症例に強い医師にかかるため、テキサスからフロリダまで受診・治療をしに行くようになりました。これにより、入院は減ったのに医療旅行でまた母親が数週間も不在になることが年に1~2回発生します…

娘たちには申し訳ない…と思いつつも専門的な知識のある医師から治療を受けることで将来的なモーリーの自立や体の負担を軽減できると信じて挑戦することにしました。でもそれはモーリーにとってもりっちゃんやあっちゃんにとっても今我慢すること、頑張ってもらうことを強要してしまうようで親として何が正解か本当に悩み、心苦しい思いでした。正解なんてないし、どれがベストかわかりません。結果的には将来的にみんなにとって良いことだと信じて遠方の専門医の治療を受けると決めましたが、非常に難しい決断でした。

多くの出来事を一緒に経験してきたきょうだい児

良くも悪くもモーリーが生まれてからの約3年間、りっちゃんもあっちゃんもモーリーとモーリーの病気と共に生き抜いてきた戦友のような存在です。りっちゃんとあっちゃんはモーリーと同じ病気ではありませんがきょうだい児なりの大変さや苦しさも絶対にあったはずです。

そばで見ていたからこそ、このままでモーリーは幸せに生きていけるのか不安に思ったのでしょう。親としてもモーリーには幸せに生きていってほしい…そう強く願っています。でも同時に長い手足で思いっきりスポーツを楽しむ子たち、だだをこねながらも力強く暴れる子、トランポリンで思いっきり飛んだり跳ねたりしている子たち、遊園地で好きなものを自由に乗って遊ぶ子供たち…そんな何でもない場面でモーリーは同じようには生きられないかもしれないんだよな…と感じる場面も多々あります。

警察官や消防士のような肉体労働的な職業を見てこういった仕事はモーリーには難しいかな…なんて思ったり。モーリーにしかできないこと、モーリーだからできることもたくさんある!そうわかっていても日常のどこかで悲壮感を感じることも少なくありません。

だからこそ、りっちゃんの言葉は胸がえぐられるような思いでした。正直返す言葉が見つからず…「幸せに生きてほしいね…モーリーが幸せって思える人生だといいな…」とだけ返して泣けてきました。

幸せの定義…

モーリーはどう生きていったら幸せと思えるのか…それは正直わかりません。きっと私にはわかってあげたくてもわからない生きにくさや大変さ、私の経験したことのないような挑戦をいくつもしなくてはいけないと思います。

障がい=不幸、難病=不幸とは思いたくありません。モーリーはモーリーの体で幸せを見つけていくんだ、モーリーがこの病気だったからしか得られない経験や体験もあるはずだと信じています。でも同時に病気も障がいもない体で産んであげられたら…体や病気のことを心配せず思いっきり生きることができたら…そう思わない日はありません。ただ、考えても悩んでもモーリーの病気も障がいもなくなるわけではありません。ずっと共に生きていかなくてはいけないものです。

きれいごとにはなってしまうけど、持って生まれた以上、その体ゆえの大変ささえも生かしてモーリーにしかできない、モーリーだからできることを思いっきり楽しんでほしい。同じ立場にない私が言うのはなんだか無責任かもしれません。でもそう願わずにはいられません。

「モーリーは幸せに生きられるの?」

この問いに答えはありません。答えはきっとモーリーにしか出せません。でも幸せに生きられるよう全力でサポートしていきたいですし、これからも家族みんなで精一杯歩んでいきたいと思います。

私たちにはそれしか、できないのです。そして、私たちだからこそ、モーリーにできることでもあります。りっちゃんのこの言葉は一生忘れることのできない言葉になりました。そして私がモーリーのことで心折れそうになる時に私を奮い立たせてくれる言葉だと思います。

これからも家族みんなでモーリーの幸せはもちろん、モーリーだけじゃなく、りっちゃん、あっちゃん、夫、私…ひとりひとりの幸せ、みんなの幸せを大切に頑張っていこうと思います。

まとまりのない文だったかもしれません。そんな等身大の私の想いを最後まで読んでいただいてありがとうございました!

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